THE KINGDOM POST

まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。

紙媒体だから信頼性が高いという時代は終わりだ 新聞かインターネットかの議論に思う

f:id:freedom_neet:20131223120638j:plain

 

朝日新聞に「新聞は時代遅れなの?:朝日新聞デジタル」という記事が掲載されていた。内容は、京阪神の9大学の学生新聞サークルが加盟する「UNN関西学生報道連盟」が開催した、「学生×新聞」と題したシンポジウムをまとめたもの。シンポジウムでは「学生に新聞は必要か」「紙かオンラインか」というテーマで討論が行われたそうだ。この記事を読んで思うことがあったので、「紙かオンラインか」について私見をまとめた(「学生に新聞は必要か」については割愛)。

 

そもそも「紙vsオンライン」とはどういう対立軸なのか?

まず前提として、紙かオンラインかという対立軸についてだが、この対立軸の定義の仕方によって議論すべき内容は大きく変わってしまうので注意が必要だ。定義としては以下の2点が考えられる。

 

・新聞社が発信する情報とオンライン上の情報のどちらが信頼性・有用性が高いか

・新聞社が記事を紙面で配信するか、それともオンライン上で配信するのか

 

記事を読む限りでは、このシンポジウムでは前者の定義で議論が行われたようである。今回はそれに対する個人的な意見を綴ってみたい。また、せっかくなので後者についても言及していきたい。 

 

新聞社が発信する情報か、オンライン上の情報か

(※ここでは、新聞社がWeb上で提供する記事も「新聞社が発信する情報」として扱う)

 

私は、どちらを使うべきかという二者択一のものでもないし、どちらにも絶対的な信頼性は寄せられないと思う。

 

新聞の有用性として「プロ集団が厳選し編成した情報が詰め込まれている」とある。確かに、綿密な取材が行われ、校閲などのチェック体制もある点で、情報の質は高いと言えるし、ある程度の信頼を置くこともできる。しかしながら、新聞社のプロ集団が厳選し発信する情報だから即信頼できるという考えは危険だ。「新聞には、新聞社が『これを読んでほしい』と選んだ情報が詰まっている。」ということは、裏返して言えば情報の取捨選択によるバイアスがかかっているということだ。例えば、どのような話題を記事として取り上げるか、どこに取材に行くか、ソースのどの部分を取捨選択して伝えるかにしても執筆者の意思が入り込む。また、編集者の意思によってニュースによって扱いが大きかったり小さかったり、あるいは載らなかったり、一部の話題を繰り返し報道し、その結果、別のニュースがほとんど報道されないということも当然起こりうる。だから、情報収集の手段を一つの新聞社が発信する情報のみに頼ってしまうと、自らの意見形成に偏りが生じてしまう可能性もある。

 

一方、オンライン上の情報は「情報の出どころをたどるのが難しく、情報の正否の見極めは簡単ではない。」とある。一口にオンライン上の情報といっても対象は広い。例えば、官公庁のサイトやジャーナリスト・専門家の個人サイトもあれば、wikipedia2ちゃんねる、一般市民のブログもある。近年では、新聞社などのマスメディアの報道を検証するサイトも数多く見られる。当然、信頼できる情報もあれば、全く信頼できない情報もある。また、サイトを運営しているのは人間である以上、新聞と同じように情報の取捨選択が行われている。まとめブログなどがその最たる例だろう。この中から、自分の求める情報を探しだし、信頼できるかを確かめるというのは労力がいる作業だ。しかしながら、この膨大な情報量こそインターネットの優位性だと思う。守備範囲が非常に広く、新聞がカバーできていない情報もカバーできる。

 

「新聞社が発信する情報は質は高い。だからと言って即信頼していいわけではない。インターネットも即信頼できるわけではないが、かといって活用しないわけにはいかない。」という捉え方が適切だろう。多くの人がスマートフォンなどのデジタル端末でインターネットに手軽にアクセスし、様々な情報に触れる時代だ。もはや情報源を一つの媒体のみに頼るという時代ではなくなっている。結局は、絶対的な信頼なんてものはどこにも寄せることはできなくて、疑わしいと思ったものは、自ら他の情報によって検証していくような情報の見極めが重要になってくるだろう。

 

紙面で配信するか、それともオンライン上で配信するか

実際、紙面であってもオンライン上であっても発信している記事自体に違いはない。最近ではほとんどの新聞社が自社の記事をパソコンやスマートフォン、タブレットなどのデジタル端末向けに配信している。だから、記事中の「紙媒体の情報は信頼性が高い」というのはおかしな話になる。私たちは媒体に信頼を寄せているわけではない。「新聞」が必要ということではなく、新聞社の発信する情報を必要としているのだ。

 

紙面とオンラインのどちらを選ぶかは、個人の好みだろう。ある新聞社のデジタル版だと、新聞記事検索機能を使えば過去1年分の記事を検索・閲覧でき、気になった記事をクリップすることもできるらしい。これらの機能を見ていると、紙面よりもはるかに使い勝手が良いのではと思う。一方、紙面は様々な記事が目に入るという一覧性の高さが良いという意見もある。私も紙面のレイアウトによって、普段なら今日の沸かない話題も思わず読んでしまうということはよくある。結局、どちらに価値を見出して、どちらで契約するかという個人の問題だ。

 

おそらく今後オンラインの契約は増えていくことだろう。だが、紙面のほうが見やすいという人もいるだろうし、全国に張り巡らされた販売経路からすると、おそらく急激に移り変わるというよりかは、緩やかなシフトではあるだろう。もちろん、紙面とオンラインが共存していくということもありえるだろう。 

 

新聞社の記事は、オンライン上における情報と同じ土俵に置かれるつつある。今までは、新聞社の記事は紙面によって提供されていたから、「紙媒体は信頼性が高い」という幻想があったのだ。これからは「一つの媒体のみが優れていて他が劣っている」という発想自体が時代遅れになるだろう。信頼は媒体に寄せるものではなく、その情報に寄せるものだ。だからこそ、情報の価値が問われる時代になっていくだろう。そして、私たちには、情報の見極めが求められるようになっていくだろう。