THE KINGDOM POST

まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。

「靖国参拝はヒトラーの墓参りと同じ」発言にみる、たとえ話の危うさ

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スイス出身のタレント・春香クリスティーンさん(21)が、12月26日に『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系) にコメンテーターとして出演。安倍総理靖国神社に参拝した件に関して「もしもドイツの首相がヒトラーのお墓に墓参りをした場合、他の国はどう思うのか」とコメントしました。それが原因となって、同氏ブログには批判コメントが殺到するなど、炎上状態に陥っています。

 

今回は、この発言からみる「たとえ話の危うさ」について語ってみます。

 

不適切なたとえ話は炎上することも

今回の発言は、多くの批判が集まっている以上、メディアに登場する者の発言としては不適切なものだったと言えるでしょう。今までも、不適切な比喩表現をしたがために、世間からの批判を招いてしまった例は多々あります。柳澤伯夫厚生労働大臣の「産む機械」発言がその最たる例でしょう。

 

たとえ話は、複雑で分かりにくい内容などを、比喩表現を用いることによって、別の何か具体的な話に置き換えて、聞き手の理解を促すというものです。実際、聞き手がピンとくるような上手なたとえ話は、聞き手を話に引き込んだり、自身の主張を補強するという大きな効果があります。

 

しかしながら、不適切な比喩表現を使ってしまうと、同意が得られることはありませんし、反発を招いてしまいます。不適切な比喩表現としては、大きく分けて2点挙げられると考えられます。

 

まず第一に、表現自体の問題です。例えば、表現が悪趣味なものだったり、あたりがきつい表現だったり、誤解を招きやすいものだったり、センシティブな話題を扱ったものです。政治家などの発言に多いですが、そんな言い方をする必然性のある文脈ではないのに、その場でウケるものと期待して、わざとそんな言い方をしてしまう。それが面白くない比喩表現なら当人がすべるだけですが、悪趣味なものだと問題発言になってしまいます。

 

第二に、話し手が理解不足なため、本質的には全く異なるものを比喩として使ってしまうもの。また、このような比喩表現を使ってしまうと、議論は「発言者の比喩表現はどう間違っているか」という論点にすり替わってしまい、元の議論から脱線してしまうことが多いです。

 

今回の件について

同氏の比喩表現は、非常にセンシティブな発言であり、これだけの批判が巻き起こってしまうのも無理もありません。特に、靖国神社に理解のある方は、同氏の発言を徹底的に否定したくもなるでしょう。

 

そもそもの主張として、おそらく同氏が言いたかったのは「靖国神社について詳しい知識がない海外の人々から見れば、同視してしまうこともありうるではないか」ということだと考えられます。論点は「ヨーロッパなどの靖国神社に関する正確な知識が少ないであろう諸外国からは靖国参拝はどう見えるか?」であって、「安部総理の靖国参拝とヒトラーの墓参りの違い」についてだけ議論してもあまり意味がないように思えます。

 

今回の件は、比喩表現がセンシティブかつ誤解を招きやすいものであったために、これほどの批判が巻き起こってしまった。そして、そこだけがクローズアップされてしまい、元の論点から脱線してしまったと言えるでしょう。

  

まとめ

不適切な比喩表現は、激しい炎上を生み出してしまいます。コメンテーターや政治家、そして私たちも、うかつな比喩表現には気をつける必要があります。聞き手がピンとくるようなスマートなたとえ話は確かにかっこいいですが、たとえ話の危険性にも目を向けるべきでしょう。また、比喩表現にとらわれて、議論の論点から脱線することにも気をつける必要があります。